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銀座テーラーといえば、政財界を中心に多くの顧客を もつ老舗テーラーだ。そんな老舗がバブル経済に翻弄 される。それに立ち向かった一人の素人経営者の物 語がこの本だ 著者は1948年に大阪の商家に生まれる。大学卒 業後、大阪万博のコンパニオンを経験することで、 チャレンジすることの大切さを学び、平凡な人生を送 りたくない、という心が芽生えてくる そして25歳のとき、人生を左右する出会いがある。相 手は銀座テーラーの2代目経営者、鰐淵正夫だった 出会いから数ヶ月で結婚したせいか、彼女は夫の普通 でない姿を目の当たりにする。乳母日傘で育てられた一 人息子は、手作りのものしか口にせず、ナマものを食べ たことがない、給料は生活費を残して、あとは一晩で使 い切る。そして嫌いなことにはまったく関心を示さなかっ た。その一つが、銀座テーラー専務の仕事だった それでも銀座テーラーは、やり手創業者・正志氏のもと 順調な経営を続けていた。しかし、1983年、その正志 氏が病でなくなると、経営は長男の夫に引き継がれる。 これを境に銀座テーラーは傾きはじめる しかし、その数年後にはあのバブル経済がやってくる。 1着30万円からのスーツが飛ぶように売れた。お仕立 券の注文が舞い込み、営業担当者は店にいるだけで 数字が上がった 別会社の不動産事業からの家賃は増え、無尽蔵とも いえる融資が行われ、経営は一気に回復。破天荒な 生活の夫は、その勢いを加速させ、「銀座の帝王」と なった。不規則な生活で大病を患い、夜の遊びは控え たが、今度はクルマと絵画にのめり込んだ そして宴の終わりがやってくる。バブル経済の崩壊で 会社は危機に直面する。ここで著者ははじめて銀座 テーラーに入社し、再建にあたる。しかし、そこで目に したのは、ぼんぼん息子とバブル経済が蝕んだ老舗 企業の姿だった 危機感を強めた著者は、一人で改革に取り掛かり始 めた。自ら営業の最前線に立ち、新しいレディースの オーダーを始めた。社内からは少数の協力者が現れた しかし、彼女はこのときまだ会社の真相を知らされてい なっかった。大番頭の専務が退職する際、彼女は銀座 テーラーの巨額の負債を知らされる。ここから生き残り を賭けた本当の再建が始まる 勝ち残りましょ、銀座で―老舗「銀座テーラー」を再生させた3代目女社長の手づくりビジネス
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テレビ東京「ソロモン流」6月10日「鰐淵美恵子」さんの回の取材が来てました。
先月末に行われた、経済産業大臣 甘利明代議士の会で、「銀座テーラー」代表取締役社長「鰐淵美恵子」さんが講演されたのですが、これが正直つまらなかったです。鰐淵さんはとても苦労人で、一度は潰れかかった銀座テーラーを建て直されたかたなのですが、大変だったとか、頑.. ...続きを見る |
営業日記∀ (商品化権資料センター) 2007/06/08 17:40 |
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