|
「名人は危うきに遊ぶ」、これは著者・白洲正子が能役 者・友枝喜久夫に送った手紙に書いたものだ。危険な遊 びがない所に真の美しさも生まれない、と著者は言う 友枝は人間国宝でも、芸術院会員でもない。しかし、 白洲正子にとってはそんなことはどうでもいいことだ。 自分が好きなものを好きという。世間の評判は関係ない、 権威なんかアテにしない 骨董のすぐれた目利きであり、女性で初めて能舞台に立 った。古典に通じ日本の美を随筆で残してきた。本書は 白洲正子が自らの眼力にかなうものに光りを当てた随筆 集だ □ □ □ 一身にして男女両性を兼ね備えた奈良聖林寺の十一面観 音像、天孫降臨の地である高千穂の二上山、浮世絵その ものに加え表装が素晴らしいMOA美術館の浮世絵「湯 女図」。絵ではなく、書として観るようにと言われて贈 られた画家・熊谷守一の「日輪」 一方ばっさり気って捨てられるものもある。芝居見物は 飲み食いしながら見るほうが楽しいのに、お勉強で薪能 を「拝見」する人々 日本の道具は人間が使うことに意味がある、使わなけれ ば死んでしまうのに、ありきたりな展示をした茶道具。 拝めないように展示された仏像もそうだ 秀吉の黄金の茶室は組立家屋の置物の感を免れず、魯山 人の陶器は料理を盛ってこそ美しいのに、大切にしまわ れ生殺しの目にあっている。ちなみに著者は昔500円 で買った魯山人のごはん茶碗を毎日雑に使っている 日経新聞のコラム「交遊抄」に寄稿する男性は、友情の 深さや美しさとは無縁の人たちとわかる。不都合なこと を隠しても、おのずから現れるのが文章の怖さである □ □ □ 一見自らの好みでありながら、その眼力には確かさがあ る。それはどこからもたらされるのか 現代人は形式を嫌い、内容さえあれば外に現れる形なん てどうでもいい、そこに人間の自由があるというが、著 者は反論する 「形をしっかり身につけておけば、内容はおのずから外 に現れる」とし、「見掛け倒しの自由の中に道を失った 現代人は、もう一度そこへ還って、ほんとうの自由とは 何であるか、見直してみるべきだと思う」 「名人は危うきに遊ぶ」 白洲正子・著 名人は危うきに遊ぶ
|
| << 前記事(2006/12/13) | トップへ | 後記事(2007/01/06)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2006/12/13) | トップへ | 後記事(2007/01/06)>> |